木もれ陽散歩道 2013年05月
                  
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東京裁判は、もともと西欧列強に立ち向かった日本を完膚なきまで断罪するために仕組まれた連合国による一方的な『復讐裁判』だろう。
つまり日本の戦犯は彼らにとっての戦争犯罪人であって、私たち日本人にとっては戦争犯罪人に当たらない。

だから世に言うA級以下の戦犯はあくまでも連合国側に付けられた憎しみの序列であり、日本人にとっての戦犯は存在しないのだ。
その解釈に従えば、靖国に祀られているのはすべて英霊なのであり、それに敬意をを払って異例の思いを込めて参拝する政治家の靖国参拝に何一つ問題はない。

日本は確かに敗戦国になった。
しかし勝者が必ずしも正義とは限らない。
例えば東南アジアの諸国は日本が血を流して戦ったことが後々の独立の大きな原動力になっている。
それでもアジアで堂々と反日を掲げているのは中韓北朝鮮くらいのものだろう。
かれらが「正しい歴史認識」を口にす時の本音は、ただ日本を引きずり降ろして自分たちが優位に立ちたいだけなのだ。

むしろ日本人でありながらあえて反日的な外国人とともに、世界史や日本史を歪めて、日本人に罪悪感を植え付けて自虐史観で洗脳し、
戦後の日本に戦犯を存在さしめようとしている存在、日本人を卑しめようとする思想の持ち主こそが問題なのだと言えるだろう。
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最近は様々な点でに日本の法律は厳罰化に向かっていると感じてしまう。
中でも私が一番気になっているのは、てんかんの持病を持つドライバーの事故に対する厳罰化を望む動きだ。
それを受けて法的には事故を起こした時のてんかん病患者に対する罰則は厳しくなった。
にもかかわらずその後2回も、
とある中堅の新聞がてんかん患者の事故の件で処罰が手ぬるいという趣旨の記事を出した。
しかしここまで来たらもう、てんかん患者に対するピンポイントの意図的ないじめではないだろうか?

私がてんかん患者をあえて弁護するのは、てんかんの発作にはいくつかの種類、症状があって、
報道が大々的に書きたてたような全身痙攣を起こすような発作ばかりではないということ。
報道を含めててんかんに対する一般社会に対する理解が少なく偏見が強いと感じているからだ。
そもそもてんかん患者で運転免許を取得できるのは症状の軽い人であって、どの程度なら運転可能かは医者の判断によるとしても、
それでも十分に効果のある抗てんかん薬の服用で運転に支障のない人たちばかりだ。
大きな惨劇につながる事故がどうして起きたのか、大きな発作を起こす可能性のある人が、教習中にそうした発作も起こさずどうして
運転免許を取得することができたのか私にはわからない。

一つ言えるのは、

事故の報道を見て私が感じたのは、言われるような発作が本当にんかんの発作に起因しているとしても
運転できなくなるほどの大きな発作を起こす要因を作った責任は本人の性格による身勝手さが引き起こしたものと十分に判断できる。
それは他の同病者の罪ではなく一個人の罪に帰すだろう。
だから事故を起こした罪は当人が個人の責任において被害者に対して償えば十分なのだと思う。
問題は自己の重大さから自己保身に走って罪を軽減しようとした加害者の言動にある。

てんかんの症状は誤解や先入観に基づく情報もまだまだ多いと考えられる。
マスコミが正確に知って報道しないことも問題だろう。

持病を持つ人は伝え方一つ間違えば失職する危険性もある。

その場合持病を持つ患者の人権は誰が保護してくれるのだろうか。
持病を抱えるドライバーの置かれた立場の悲しみや苦しみも知るべきではないだろうか?
特に最近の、てんかん患者全てに責任を転嫁して負わせるような全体責任的な厳罰化に対する動きはナンセンスだろう。
ただ、それを言わさないようにする全体主義的な空気感を今の日本には感じてしまうのだ。
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