木もれ陽散歩道 2011年12月
                  
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2011.12.22 善の循環
「善の循環」という言葉がある。
カーネギーを信奉していた YKK創業者吉田忠雄が良く使っていた言葉。
その理念は
「他人の利益をはかって、初めて自らも繁栄するのだ」という思いが込められている。
その思いに違わず、YKKは富山を代表する世界的企業に成長した。


自分のことだけ考えていれば何処かで人の嫉妬や恨みを買うだろう。
繁栄する世の中を実現するためには、やはり他人の利益も考える必要がある。
自分さえよければという思いが日本や世界の経済をおかしくしたのだろう。
中国はまだ繁栄を続けていても、そのエゴ丸出しの言動で世界中で中国を快く思わない人達が増えて来つつある
それが一定量に達する時中国経済は崩壊するだろう。
善が循環してこそ初めて世界中に真の繁栄をもたらすことが出来る。
豊かさの原点はやは自分を利し、他人を利する思いだ。
その循環する姿こそ、世界に繁栄を導く一歩となるのだ。

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すでに死んだ人と会話が出来るのは、
現在の人間と過去の人間と同じ空間に存在しているということ。
3次元の世界では同じ空間に存在できるのは、
同一時間を共有している人間同士だけだ。
4次元以降の世界では同一空間にタテ・ヨコ・高さに加えて時間が
座標を取って存在することが出来る。
存在する人間同士の時間がずれていても存在は可能なのだから
死者と対話することは容易だ。
その空間を簡単にあの世という言葉で表現しているのが死後の世界だ。
その理屈に従えば平安時代の人と現代の人も会話は可能になる。

あの世の世界を宇宙空間に置き換えてみる。
何万光年も離れた星から地球まで来るのはとても困難だ。
時間の座標を特定して4次元以降の空間を通れば、
時間を短縮して辿りつくことは可能だ。

物理学では異次元空間はその存在が認められている。とすれば、
あの世と異次元をイコールだと考えるとその存在を否定することは不可能と思える。

実証できない事を否定する根拠にはできないだろう。
それこそ科学的じゃない。

ビッグバンが起こった時も同様に同じ空間に凝縮されていたことを思えば
3次元の世界だけがすべてという発想こそ荒唐無稽なのではないだろうか?
日本を癒したい。
おかしくなってしまった世の中の仕組みが、
元に戻るように変えていきたい。
信じる気持ち、愛する気持ち、素直な優しさ、人々の当たり前の心を取り戻すために
癒したい。
大切な日本をそして世界を
癒して行きたい。

地球が豊かさに包まれますように。
より豊かになりたいという思いで
経済が学問として発達してきたのなら、
マルクスの学問は貧しい人々の存在理由を説明するために
作られたのではないかと思う。
何故金持ちと金持ちでない人がいるのか?
神は人を平等に創られたはずではなかったのか?
それが説明できなくてマルクスは神を否定した。
つまりマルクス経済は原点で神の存在を否定した経済だ。
神を捨てた無神論の経済学だ。
神を失っても平等に生きようとすれば必然的に共産主義にならざるを得ない。
本来経済学(のみならずすべての学問)は神・仏を肯定する中で成立すべき学問だ。
神・仏は豊かさを肯定し人が豊かになるための道を説く存在だからだ。
それを捨てた学問の終着点に豊かさは無い。
ソ連が人々の貧しさの中で72年の幕を下ろしたのも当然の帰結なのだ。
しかしマルクスは学問の始まりにおいて大きな誤りを犯している。
神は確かに人間を平等にお創りになられた。
しかしそれは結果平等を与えるためでなく機会平等を与えるためだ。
平等に努力という要素を含めるために。

それは神が世界が発展繁栄し続けることこそ良しとされたからだ。
マルクスにはついにそれが分からなかった。
何もせず平等な結果が得られるならだれも努力はしなくなる。
経済は滞り、人はやがて貧しくなる。

努力する大切さを教えることは重要だ。
努力して初めて人は豊かになれるのだ。
大切なのは努力する機会をすべての人に与えること。
それこそ神・仏が示された機会平等の世界なのだ。
経済の難しい理屈をこねくり回して、
結果的に人々が貧しくなっていくのなら、
何のために経済学はあるのだろう。
人々を貧しくしてソ連が崩壊してく様を見ても、
マルクス主義はなくならなかった。
経済学は人々を豊かにする思想がベースになければならない。
今の経済学には潜在的に争いの芽があるように思えてならない。
争いの芽は嫉妬から生まれる。
持つものと持たざるもの。
それを持たざる者からの『搾取』と解釈すれば持つ者への嫉妬が成り立つ。

そこには持たざる者から持つものになるための努力が無い。
人々から自助努力の精神を奪ったのがマルクス思想、共産主義だと思う。
日本民主党政府のバラマキ政策もまた人々から努力の機会を奪う。
それはマルクス主義とどこが違うのか?
民主政権になってたくさんの豊かさが奪われ破壊された。
民主政権は豊かさを憎んでいる。
豊かさを憎むものに豊かさを理解することは不可能だ。

最近富裕者層にも子供の(ための)手当なるものを支給する決定が出た。
名称をどう変えても中身は変わらないつまり以前の児童手当だ。
そのすぐ後に今度は富裕者の所得税率を引き上げるつもりだという。
一見矛盾する話も民主政権の狙い私有財産の否定だと聞けば納得いくだろう。

バラマキのために増税を繰り返せば国民の財産は減り続ける。
やがて国民の財産は完全に国(民主党政権)に移るだろう。
問題を起こした民間企業すぐには国有化する。
民主政権はすでに航空会社と電力会社を掌中に収めた。
公営企業は豊かさを生まない。
そんな政権が民主主義の政権だと言えるのだろうか?
マスコミはすでに言論統制を始めている。
正論を吐けば封殺される。
社会主義に反対するデモは報道さえされない。

豊かさを否定された社会で国民が豊かになることは決してない。
民主党こそが否定されるべきなのだ。
国民の豊かさを取り戻すために。
仕事などが順調に廻らない。
普段に比べてミスが目立つ。
「どうしてこうなるんだろう?」
と思わずつぶやいてしまう時、
そんな時自分を愛せない自分がいないだろうか。
自分を愛していなければ
どんな物事もうまく廻らない。
ミスする自分を呼び込んでいる自分がいる。
そして悪循環にはまっていく。

大切なのは自分を愛すること。
自分を愛せなければ誰も愛せない。

ただ自分を愛することがただの自己愛にならないようにすること。
自分を愛するように他人を愛そう。
世界は他人との結びつきで出来ているものだから。

まず自分の愛し、他人を愛せば世界は変わる。
デフレが続くとお金の価値がものに対して高くなるので
人は消費を渋るようになる。
結果としてお金が世の中に循環しなくなり景気が停滞する。
お金の偏在が起こるのでお金を持つ者には残り、持たない者には残らない。
お金持ちに文句を言っても仕方がない。
お金が動かないのだから貯めようがないのだ。
それを無理やり動かすために政府が税金を上げても、補助金を出しても、
根本の解決策になるはずはない。
一時的にお金は動いても循環はしないのだから経済は間違いなく悪化する。

そして国民のお金に対する執着心が強くなる。
執着心はさらなるお金の停滞を生むので景気が良くなりようはない。
不思議なことで
これは私自身経験したことだが執着心を捨てるとお金が増える。
少なくとも使った分くらいのお金が戻って来る。
お金持ちのお金持ちたるゆえんはお金に対する執着心が無いことだろう。
お金持ちはお金に執着しないからお金が貯まる。それがお金持ちになる極意なのだと思う。
またどんな些細なことでも自分でお金を生み出す方法を知っている。
お金が循環して増えていくのだ。
ただ毎月の給料が入って来るまでじっと待っている訳ではないのだ。
与えられ生かされていることへの感謝。
世界に存在するすべてのものは与えられて存在する。
何物も永遠に自らのもとに留めることはできない。
生成し消滅し循環のサイクルを繰り返す。
それを留めようとすることは執着に過ぎない。
執着は循環を阻害する。
循環し発展していくことが豊かさなら、
執着は停滞を生む。
執着は豊かさを押しとどめる。
執着は捨てよう。
発展を続けたいのなら。
それが豊かさへと続く道なのだ。
世界が豊かさに満ちているというのは、
本来人もまた豊かさを内在した存在だと言うこと。

豊かさを抑えられたら苦しい気持ちがするのも、
抑えようとする人が真逆の性質を持った存在だからだ。
裏を返せば豊かさを否定した存在は、
創造主に反する存在だと言える。
つまり唯物論や無神論を信奉する人々は、
決して世界を豊かにし得ない存在だとも言える。
そうした人達にとっての豊かさというのは、
他の人の豊かさや富を奪うことによって実現する。
相対的には右から左に富が移ったというだけであり、
富の絶対的総量は増えることはない。
それを自己正当化したのがカール・マルクスだ。
故にマルクス経済では決して人々は豊かにはなれない。
経済の中心軸に創造主への信仰を据え、
創造主への絶対的な畏敬の念と深い感謝の思い、
それこそが今後の経済理念に求められていると言える。
【日本国民は物貰いじゃない】

<子ども手当>年収960万円超の世帯にも月5000円
毎日新聞 12月14日(水)2時30分配信

野田佳彦首相=首相官邸で2011年12月13日、武市公孝撮影
 政府は13日、現在の子ども手当に代わる12年度以降の新たな子ども手当に絡んで、所得制限の対象となる世帯(年収960万円超)にも子ども1人当たり月5000円を給付する案を決めた所得税・住民税の年少扶養控除廃止に伴って大幅増税となる所得の高い世帯の負担を軽減する。 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111214-00000009-mai-pol


ならば増税しなければいい。
増税負担を軽減するためにこそも手当の支給上限を上げるというのは本末転倒だ。
高所得者はその増税に耐えられるのではなかったか?

国民は乞食や物貰いではない。国民をどこまで見下しているのか?
世の中にきちんとお金が循環していれば、国民の所得は自ずと増える。
国に(というよりは民主党、[民主党は国家を考えない])に金をもらう必要もない。
きちんとした主権国家の国民は自立しているものだ。
自立心を喪失させて何が子供手当だ。
主権国家なら国民が豊かになることをまず考えるべきだ。
松下幸之助氏の思想が欠片も入っていない野田が
野田は松下政経塾の出身という。
私は決して認めない。








2011.12.14 豊かさの原点
日本の豊かさが失われたのは、そこに仏神への豊かさに対する感謝の思いが無かったから。
バブルの時代、感謝を忘れ国民も官僚も政治家も皆その豊かさに驕っていた。

でも豊かさの根源はすべて仏神に与えられたものだ。
たとえ世界が物理的に現れたとしても、
世界をあらしめようとする『意志』なければ世界は形作られることはなかった。
経済原理もまた、豊かさを実現するためにある。
前提には感謝がある。

それは御仏の創られた世界、与えられた命への感謝だ。
それなくして真実の豊かさは成り立ち得ない。
マルクス経済はその対極にある。そこに仏神の存在はない。
自我力の経済だ。感謝を忘れた資本主義も同様だ。
収奪の経済しかない。一方は豊かになっても他方は貧しくなる
与え通しの仏神が豊かな世界を創造したなら、

人々もまた与える事が基本だ。
それが物心共に豊かさの原点だ。

世界中が豊かさを失いつつあるのは、他から奪う思いが強くなっているから。
世界中で仏神への感謝が薄れているから。人を恨み憎む思いが増えているから。

今までずっと与え続けられてきたのに、何故まだそれ以上に奪おうとするのだろう。
その思いが世界の豊かさを阻害しているのだ。強調文
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