木もれ陽散歩道 少林寺拳法
                  
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2009.04.06 初段
この2週間ほどほとんど毎日のように昇段試験に向けての練習が続き、土曜日の昇段試験を迎える事となりました。
結果は合格だったのですが試験の内容は決して自分の納得のいくものではありませんでした。
試験によって自分の練習武不足を痛感しました。
それでも有段者になったからには今までのようなことは言っていられません。
初段までの技を一日も早く極めていけるように練習あるのみです。
スポンサーサイト
2009.04.03 当身の5要素
少林寺拳法においては当て身を効果的に行うために、5つの条件を設けています。

1.急所の位置
2.当身の間合
3.当身の角度
4.当身の速度
5.当身の虚実

以上の5つです。

1の急所と言うのは東洋医学で言うところの経脉(けいみゃく)の事でそのうち少林寺拳法で用いられるものは男性で138、女性で137ります。その位置を正確に覚える事が大切だと言う事です。

2の当身の間合と言うのは攻撃間合いの事で、「一撃で相手に有効な攻撃を加える事の出来る距離」
つまり「攻撃用器が相手の急所の深部に届く距離」のことです。

3の当身の角度は急所に対して最大の効率で打撃を与える事の出来る角度の事でこれが外れていると効果は半減してしまいます。

そして4は、少林寺拳法が護身術であるが故にとても大切なことだと言えるでしょう。
打撃を与える速度は出来るだけ速く、打撃を与える時間は出来る限り短くすることで非力な人でも最大限のダメージを相手に与える事が出来るからです。

5はもう言うまでもなく、相手の「虚」言い換えれば油断や隙のようなものですがその瞬間を見逃さずに攻撃すると言う事です。
これには「肉体の虚」と精神の虚があり、「肉体の虚」はさらに「体勢の虚」と「体質の虚」に分けられます。「精神の虚」とはボーッとしているようなとき、「体勢の虚」は体勢が崩れているようなとき、「体質の虚」は力の抜けた時を言います。
少林寺拳法の開祖、宗道臣は日中戦争末期や敗戦直後の満洲で人心が荒廃しているのを見て国の向かう方向を決めるのは全て人の質だと悟られました。
それが動機となって自己確立と寄って立つべき心身を鍛えるために少林寺拳法を手段とした金剛禅の教えを広めることにされたのです。

少林寺拳法の最終目的は人としての質を高めていくことにあります。
そのためにお互いの努力し切磋琢磨していくのが少林寺拳法なのです。
少林寺拳法は自己確立のための手段であり、護身練胆の技術だと言えます。
「人の質を高める」これはとても大切なことです。
敗戦直後ではありませんが最近の日本の現状を見ると、人としての質が年々低下しているのではないかと思える事が多々あります。
それは学校レベルの教育の低下とも関係がある様に思えてなりません。
日本人の人としての質を高めていくために寄って立つべき自己を確立するための教育の場が必要なのかも知れません。
昇段試験に向けて追い込みの時期に入っています。
難しいのはやはり柔法です。
先生も「剛法は誤魔化しがきくけれど、柔法は誤魔化しが効かない」
と言われます。
確かに突き蹴りと受けの組み合わせのご剛法は見よう見まねでも何とか形になりますが、柔法は技の理屈を理解していなければものになりません。
そしてこの2つ、柔法と剛法から少林寺拳法は成り立っているのです。
少林寺拳法が護身の武道である以上、柔法の技を極められることはとても重要です。
それがきちんとできてこそ反撃の剛法が生きてくるのです。
まさに柔法あっての剛法と言えるでしょう。
土曜日の稽古で道院長自ら稽古をつけてもらいました。
柔法主体だったのですが、技をかけるときの心構えとして言われたことが、
「相手に恐怖心を与えない」と言う事だったのです。
相手の手がかかった瞬間に引いたり押したりする反応を示せば、相手は反撃を想定して身構えてしまいます。そこへ無理やり技をかけようとすると力技になってしまいます。
それでは少林寺拳法としては失敗なのです。
技の極まる直前まで相手に優位を感じさせておきながら一瞬にして立場が逆転している技の極め方を少林寺拳法の拳士は目指さなければなりません。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。